その発言は誰のためのものなのか?
こんにちは。
ハッピーバレンタイン♥️
占い師のしいたけさんの一連のツィートにはっとして身が引き締まりましたーというお話ですー。
自分自身の一言が、誰かが大切にしてきたことを壊してしまっている可能性がある。
— しいたけ. (@shiitake7919) 2019年2月14日
それを自戒したいなと思って、自分のためにツイートしてしまいました。すみません🙇♂️
近い関係であるほど「あなたのことをわかってる」という洗脳を、常に自分にかける可能性があると自戒したいと思い、書き込みました
誰もが言うことかも知れないけど、信用を壊すことなんて簡単。
— しいたけ. (@shiitake7919) 2019年2月14日
その人がやったことを悪意あふれる角度から切り取って、大げさにすれば良いから。
でも常に、壊された側の方にもその後に人生があることは絶対に胸に刻んでなきゃいけない。
気分に任せて言った一言が、人を壊しちゃうことがあると自戒
読んでいて、あぁほんとにそうだなぁと思いました。
しいたけさんのツイートと、少し意味は逸れるかもしれないですが、読んで考えたことです。
真実がすべて正しいわけもなく、まして自分だけの正義なんて自分以外の誰かには通用しません。押し付けられても相手はただただ迷惑なだけ。
相手は当然まったく違うアイデンティティや価値観で生きています。
これは、もう大前提です。
たまに、正義感のようなものを持ち出して、感情的に他人を批判したり怒りをぶつける方がいます。押し付けられたほうは、傷つくし、もうその人には心を閉ざしますね、確実に。
さようならです。
世の中的な善悪で誰かをジャッジすることになんの意味があるのかな。
誰か得するのかな?誰か幸せになるのかな?
そもそも、何事も善悪なんてないはずなのに。個人の捉え方の問題で。
あなたを想ってのことだという姿勢で来られると、ますますタチわるし(舘ひろし的に読んでほしいW)で、いちばん厄介。とくに本人が本当にそう思い込んで信じきってしまっている場合。
こういう人とは確実にやっていけなーい😰頼んでませんわですよ。
でも、自分も気を付けなきゃって改めて思いました。
ひとさまの人生に干渉する権利は、誰にも1ミリもないはず。
たとえば、愛情とか友情とか相手のことを想う気持ちが本当にあったとして。
そしたら、まず目の前の相手を少しでも理解すべく、話を聞くことから始めよう。
自分がどんな意見を持ったとしても、相手が望まない限り言う必要なんてないと思います。
求めれたら、初めて伝えればいいだけで。
これは自分への戒めとして記録φ(..)
まずは、純粋に相手を知るために話を聞くこと。
表面だけ見て、わかった気にならないこと。
そして、押し付けないこと。
ほとんどのひとは、相手を知るためでなく、自分が「どう反応すべきか?」とか「どう思わせようか?」と考えながら、相手の話を聞いているということ。
つまり、相手への自分の対応の仕方を判断すべく相手の話を聞いているということです。
この内容を昔本で読んだ時は目から鱗でした。
さらにひとは自分が見たいようにしか世界を見ていないということ。
実際に自分もその通りだと気づかされました。
純粋にものごとのそのままを見つめるのは難しく、いつだって、ひとは自分が見たいようにしか世界を見られないということをちゃんと自覚すべきだと思うようになりました。
気づけてよかった。この著書のおかげ。とても影響を受けた大切な一冊。
- 作者: スティーブン・R.コヴィー,Stephen R. Covey,ジェームススキナー,川西茂
- 出版社/メーカー: キングベアー出版
- 発売日: 1996/12/25
- メディア: 単行本
- 購入: 148人 クリック: 4,806回
- この商品を含むブログ (774件) を見る